『田園の詩』NO.19  「名月祭」 (1994.10.4)


 別府市の山の手に、創建八百年を間近に迎える由緒ある神社があります。そこで
催された『仲秋の名月祭』に招待されたので行ってきました。

 お茶席では、以前、知人が初めてお抹茶を戴いた時、全部飲んでは悪いと思い、
半分残して隣の友人に渡したら、「なんで、お前の飲み残しをオレが飲まなくてはな
らんのか!」と、返されたというエピソードを思い出しつつ、私も慣れぬ手つきで一服
戴きました。


       
     この写真は別府市の由緒ある神社ではありません。小学校から自宅に帰る途中にある
      小さなお宮(八幡宮)です。当地(国東半島)には、このような鎮守の杜が、いたるところ
      にあり、田舎の風情のひとつのポイントとなっています。
鳥居はほとんど石製です。


 さて、暮れなずみ、月もいよいよ出てくる頃、大木に囲まれた社殿前の広場の一角
に造られた特設野外舞台で、この夜のメインイベントの≪筑前琵琶とフラメンコギター≫
の演奏会が始まりました。

 遠い昔、同じ所で生まれた楽器が、東方に伝わって琵琶となり、西方に伝わって
ヨーロッパでギターになったそうです。今日ここで、琵琶とギターを取り合わせたのは、
言わば、兄弟の出会いをさせたかったからだと、企画をされた方の説明がありました。

 琵琶の演奏では『平家物語』の冒頭の部分と、那須与一の「屋島の誉れ」を、
女流師範の方が朗々と詠じました。琵琶の音は、ときに激しく、ときに緩やかに、
押し寄せては返し、返しては押し寄せます。場所も良し、時も良し、月も良し、琵琶の
生演奏を初めて聴いた私は、しばし情念の世界へと誘われました。

 フラメンコギターの陽気で激しい音は、どうも、この場には似つかわしくない気がし
ました。社の森の大きな力に抗しきれず、もがき苦しんでいるようにさえ感じました。
(演奏が未熟というようなことではありません)

 しかし、ギター奏者の方の言葉は、私の心に深く残りました。

 「目に前に楠の大木があります。この大楠は神社の歴史と同じ時間、人間の営みを見
続けて来たのです。今日のこの出会いも、また、この大木の精霊はきっと記憶に留める
ことでしょう。」

 悠久の時の流れの中で、一期一会の喜びを味わうことができた名月祭でした。
                              (住職・筆工)

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